この年になると、「会っておいたほうがいい」ってことが、あるのだな……ということを身にしみて感じることがあります。
その人は、今しか会えないかもしれない
最近、幼少期からお付き合いのあった、大変お世話になった、大恩のある方が亡くなりました。
闘病中であることは、お伺いしていましたが、なにしろ面会が叶わぬということもあり、幼い頃にさんざんお世話になったにも関わらず、その方とはろくろくお会いしないまま、今生の別れとなったのです。
向こうも引っ越したりして、会う機会を失っていたことは事実ですが、やはりお元気なうちにお会いしたかった……という気持ちが残ります。
別の方で、これは私の学友ですが、卒業後、入院したと聞いたので、文通をしていました。書中にて「会いたいね」と言ってもらったので、真に受けて私が、少々遠いながらも会いに行ったことがありました。
正直初めての場所で、距離的にもかなりあり、彼女が心の病気だったこともあって、会いに行って喜んでもらえたのかどうか……と、しばらくは悩みもありました。
ところが、その後しばらくして、彼女の訃報が届きました。年齢は若かったですが、心の病だったので……そういうことです。
このときは、私は、悲しい中にも、あのとき、会いにいってよかった。そう心から思ったのです。遠かったし、既に会社勤めをしていた私にとって、一度きりしか足を運べる距離ではなかったけれど、その一度を渋って、二の足を踏んでいたら、彼女を彼岸に失ったときに、きっと後悔したことでしょう。
……あのとき、会っておけばよかった。もっと私にできることがあったのに……、と。
顔を見るだけでもよいときがある
数ヶ月も前に元気だった人が、あっという間に体調を崩して……ということも珍しくない。結局のところ、人間だって生き物なのですから、最後は死んでしまうというか、死ぬのが当たり前なわけです。
だからこそ、「会ったところで何もできない」のではなく、「顔を見るコトは出来る」と考えなくてはならないこともあります。
多くの人は……もちろん100%ではありませんが……、自分自身の大切な人について、その人が死ぬということを、それほど真剣に考えてはいないものです。特に若い人ほど、それが明日かもしれないとは、普通あまり、思いませんね。
さらに、滅多に会わないけれども、大切な人……というのはことさらに、そのようなことは思わないものです。ところが、滅多に会わないからこそ、次に会えるとは限らないことを、私たちは覚えておかなくてはなりません。
会っても用事がない相手……でも、自分にとって大切な相手。そういった相手は、人生において何人か存在していて当然です(そのような存在のない人生は、送り方になにか問題があるとも思います)。
しかし、用事がないからこそ、時には機会をつくり、お会いしてみるとよいでしょう。相手が年配だったり、お互いに年をとっていたりすればなおさら。機会があったのにそれを逃した場合、後から、「あのときどうして会いにいかなかったんだろう……」と思うこともある。そんなことを、知っておくと良いかもしれませんね。
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