幸運術士 あん茉莉安の こころと未来を開く手帖

タロット占い師・パワーストーンヒーラーのスピリチュアル手帖。開運、天然石、占い、風水、日常等。

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もしも理由なく、この世から消えたいと思うなら、その理由は何か。

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こんにちは、あんです。

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コトあるごとに、

悩みごとの多い世界になったものだなぁ……

と、思います。

 

特に気になるのは

「何を悩んでいる」

という、具体的なものがないのだけれども、

悩んでいる

 

それどころか「追い詰められている」

 

そんな人が案外多いということ。

 

チャット占いをしていると、このあたりのお話を

なかなかちゃんと聞けないのかな

 

と、思うことが、以前に比べて圧倒的に増えました。

 

(なので、現在は完全予約制になっている

電話鑑定を増やしたほうがいいかなあ……とは

ずっと思っているのですけれどもね)

 

なぜ、そんななのか。

 

それはきっと、昭和から平成に進むにつれて

(多分、令和もそうであって、

着々と進行しているのかな、とは思うのですが)

 

完璧を求める姿勢が明確になってきたから。

 

以前は、不完全であることは

ある程度、当たり前の側面がありました。

 

戦後なんかは特にそうで、

物足りないことが多かったけれども、それは当たり前で、

それでも、何かに頑張ったら

物足りなさが補充されていく

 

そんな意義があったのでしょう。

 

それが、だんだん、

物質的なところとか、安全性とか、わかりやすいところは充実していって、

一方で、お金の面や精神的な面など

「頑張っても埋まらないところ」

が出てきてしまって、

 

でも、日本の雰囲気は全体的に

「不完全=悪」

っぽい部分を持っていて、

 

だから、不完全で、頑張っても満たされない、

こんな自分が生きていてもしょうがない……

 

なんて気持ちになってしまう。

 

これはね、

全ての人に生きている価値がある

なんていう言葉が

逆走しているのです。

 

全ての人が、本当は

生きていても、しょうがないんです。

 

このように言うとね、批判も出ると思いますけど

 

じゃあ、そこらへんに生えている雑草に

どれだけの生えてる価値がありますか。

 

そこらへんを歩いている猫が

どれだけのことをしていますか。

 

生命の価値は皆同じで

人の価値も本来は皆同じ。

 

ただ、存在する

 

それがこの世に生まれてきた「もの」の、

最大の仕事です。

 

それを、人の価値だけ

もっともっと、ずっと、なんか、ものすごく、

大きなものだと思っていすぎるから

 

ものすごく大きくなれない喪失感を生む。

 

本来、自分という存在の無力さ、小ささを感じさせてくれる役割を、

神や仏というものが担ってきました。

それを抽象的に表現したものが、占い師の扱う「運命」です・

 

しかし現代の日本では、

そういった大いなる力について

感じていない人が多すぎますし

子どもたちにその存在も教える人が少ないのでしょう。

 

自分ではどうにもならないことがある。

人はちっぽけな存在で

大いなる力に動かされるものであり

その奔流の中で、無力で小さな自分が

いかに善く生きるのか、ということが大切

 

それなのに、子どもたちは

自分の価値をいかに大きくするかを教えられます。

自分の力だけで、自分を動かすことが求められている。

 

もちろん、自分にしっかりとした価値を見いだすことは

「善く生きる」方法の1つではあるでしょう。

 

しかし、その根底に

基本的に自分は、完璧な存在ではないのだ

人はどんなに頑張っても、完璧にはなれないのだ

というものが

 

無ければならない。

 

人という生き物は完璧ではないのだ、

いやむしろ無力なのだ

という根底があるからこそ、

「無力なりに、善く生きる方法」へと目を向けることができる。

 

頑張れば完璧になれる

というようなものじゃ、ないんですよね。

 

根底は、てくてく歩く

そこらへんの猫と同じです。

夏目漱石先生の描いた、『吾輩は猫である』の最後と同じく

めでたい、めでたい、南無阿弥陀仏とでも思っておくのがよろしい。

 

縁あってこの世に生まれてきた命だから

 

縁あってあの世へ行くまで、

消えていい命なんて1つもないんですよ。

 

道を歩いている猫と同じように、

ただ、存在すること

そういう価値を自身が持っていることを知り、

逆に、それ以外の部分には

似たり寄ったりの不完全な価値しかないものだ

そういうものだということを知って、

 

その中で、より善く生きられるように、ということを

考えてみるのはいかがでしょうか。

 

 

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