こんにちは。占い師のあん茉莉安です。
先日はツイキャスで占い師さん枠を聞いていたのですが、(私がしゃべった枠の話ではなくて)、
「タロットバッグやタロットクロスはなぜ普通に売ってないのか」
という話になり(笑)、私にとっても、占い師として同じ悩みあるあるだったので、「タロットバッグ作ろうかな」から「作る!」に意識が変化しました。
やりたいことが増えた(笑)(笑)
さて……
三つ子の魂百まで、という言葉があります。
後天的な運命の部分はともかくとして、先天的な性格の部分は、3歳の頃までに「既に現れる」という意味であると、占い師としては思います。
もちろん、もろもろあって変化していく部分も存在していると思うのですが、
「あんた昔からそうだったわよねー」
なんてお母さんに言われる部分、それはあなたの本質なのかもしれませんよ。
3歳はわかりにくいが、幼稚園児ならわかりやすい
3歳の頃、自分がどういう子どもだったかということは、大人になると全くわからないものですが(記憶! 記憶!!)
幼稚園児の頃、自分がどういう子どもだったかということは、親から聞いたりビデオがあったり、思い出の中で「こんなだった」というのがあれば比較的わかりやすいものです。
その頃の自分と、今に至るまで変わっていない自分は「どんな自分なのか」
そのように考えて見るといいと思います。
どこか1つ2つは、今の自分につながるものが見えてくる気がします。
実例!ちなみにあんさんは「人にやたら譲る」と「常に漂う孤独感」
私の場合、幼稚園児の頃から、積極性はあまり(いや、全く)ありませんでした。
話によれば、園の参観日、お昼の前に園児たちが水道の前に並び手を洗うところで、前から2・3番目に並んでいた私は、後からくる子に押しのけられ、それを抵抗もせずいちいち「はいどーぞ」「いいよいいよ」と前に通してあげ、結局最後に手を洗ったそうです。
貧乏くじ体質!!!(笑)
しかしこういう所は今でも持ち合わせていて、「おれが、おれが」的なやつは私の一番苦手とするところなんです……。
そして、そんな園児の頃、私は集団の中にしっかりと入っていました。
入っては、いました。
「入れているのに一人」
そんな雰囲気がやはりあったようです。
これは小学生になってからも続き、みんなと友達で、誰ともケンカはしない、輪の中にいるのに決して埋没しない。5人グループで2人組みを作らされる時には必ず1人残る、それも「いいよ、いいよ」と進んで1人残ってウロウロ他のコを探すというタイプ。
自分が困ることとか、寂しいことよりも、相手が快適であることを優先してしまうのです。
結局やっぱり今でもそうですね。
結婚した夫のことまで「私と一緒にいたらかわいそう」と思って解放してしまった(^_^;) 子どものこともそうやって手放していくんでしょうね。
多分、どうしてもあなたがいい、「それが快適だから」と、モノスゴイ勢いでぐっさり向かってきてくれる相手がいない限り、相手の快適性を追い求めてしまう私は、死ぬまで一人なのだと思います(笑)
記憶をもとに「補う箇所」を考える
サテ、三つ子の魂百までといっても、「百までだからしょーがないじゃん」と開き直ってはいけない部分もあるようです。
つまり、この「三つ子情報」をもとに自分をバージョンアップさせていくことが可能なのです。
例えば私の場合、相手優先で動くことが一番しっくりくる、ある意味楽な生き方なのですが、そればかりに傾いてしまうと自分がダメになってしまうので(笑)あえて積極性を作り上げて発揮するようにしています。
作り物ですが、これをすることで少し人づきあいをするようになったり、多分仕事の幅を広げることにもいくぶん役だってはいると思われます。多分。
それと、相手にばかり振り回されない努力をするようになりました。
孤独感のほうはある意味どうしようもなくて未だに大事に大事に持ち続けています。
子どもが学校へ行っても、ママ友の枠に一見入っているように見せかけてぷいと一人で別行動……みたいなことが多いですね。
まあこれは仕方ないというか、ここがあるから、逆に見せかけの積極性を携えておかないと色々困っちゃうと言ったところでしょうか。
自分の弱み(強み)を理解する
あなたの持っている三つ子の魂は、あなたにとって強みとなる部分もあり、また同時に、弱みとなる部分もあるはずです。
それを、それぞれちゃんと把握しておくことで初めて、弱みと強みの双方を人生に活かしていくポイントが見つかります。
そんな観点から、自分の持ち続けている「三つ子の魂」がどんなものなのか、一度考えてみるといいかもしれませんね。