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鬼という名のロウワーセルフ~Netflixアニメ『陰陽師』(夢枕獏)

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夢枕獏著の『陰陽師』を長く愛読している関係で、先般Netflixで公開になったアニメ『陰陽師』をついつい視聴しました。

忙しいのに……という苦情はさておきまして(^0^;)

 

あっ、ちょいちょいネタバレするかもしれないので、先にご覧になる方はNetflixへ~

 

本作は、陰陽師としてたいへん高名な安倍晴明(もちろん、安倍晴明が現代においてなお高名であり続けるのは夢枕獏の原作小説も間違いなくひと役買っていると思います)と、作品のなかで晴明の親友ポジションにある源博雅(源氏のおぼっちゃまということですね!)が、まあひとことでいえば「怪奇事件を解決していく」シリーズものです。

コミカライズもしてますね

 

迫力のある絵で好きでしたが、今回のアニメ化はお狐みの強い晴明様に垂れ目の博雅と、総じて愛らしいビジュアルです。

 

さて、アニメに限らず『陰陽師』という作品を通して、晴明の、というより都の人たちの敵役をつとめる存在が、「鬼」です。

 

鬼はさまざまな怪異を起こし、人々を恐怖に陥れる存在で、見た目は、本作では、般若っぽいことが多い。

そもそも般若の面は能面のひとつで、嫉妬とか悲しみで鬼に変じた元人間をあらわすものなのですよね。

幽霊とか亡霊とか。

ちなみにですが、超自然的な鬼(元人間じゃない鬼、天狗など)をあらわすには鬼面というのがあるそうです。

 

話をアニメに戻しますと、作中、何人もの人間が嫉妬や悲しみの情に流されて鬼となっていきます。

悲しみのあまり死して鬼となった者は、そのまま晴明に調伏されることもありますが、鬼となった自分の精神を晴明たちに癒されることで成仏していく。

一方、アニメでラスボス役をつとめる鬼は、生きながらにして鬼となる生成りです。

にこやかな顔で人々の前に出ることもあるが、その内面には嫉妬に狂う鬼が棲み、人を妬む心抑えがたく鬼と化していく……。

 

この鬼の姿は、私たちスピリチュアリストがロウワーセルフと呼ぶものです。

 

ハイヤーセルフというのは、だいぶ浸透してきているところがありますが、ロウワーセルフはちょっと耳慣れないという方もまだ多いかもしれないです。

ハイヤーセルフは崇高なほうの自分、ロウワーセルフはネガティブなほうの自分。

(ロウワーセルフについては、ほかの解釈をしている方もおられるようです。私はハイヤーの反対ということでロウワーの用語がふさわしいと思います)

傷ついたインナーチャイルドはロウワーセルフとなって自分自身とともに成長しますが、それだけではなく、どんなにインナーチャイルドが健全であったとしても、ロウワーセルフは影のように常に自分とともにあるものです。

 

作中、どうみてもゲスなキャラもいますが(笑)、素直で善良なキャラも複数登場します。

でも、そんな善良にしか見えないキャラも、最後は「私のなかに鬼はいる」と、自分のなかのマイナスな感情を認めていきます。

 

畢竟、生きていくということは、自分のなかに常にある、いろいろな意味でよろしくないモノを、どう抑えるかということ、そのものです。

 

人にやさしく、怒らず、嫉妬せず、限られた才能しかない自分を認めて愛する。

 

本当は常にそれができれば、どんなに良いことでしょう。

しかし、それができないこともあるし、

表面上そうやって取り繕うことをするあまり、内面にある闇の心が暴走して鬼と化すこともある……。

 

心の奥底に、鬼の棲まない人間はおらず、

鬼と人とはきっと本来、渾然一体としたものなのでしょう。

 

だからこそ、大切になるのは、自分のなかにいる鬼、ロウワーセルフとの付き合い方なのです。

 

つらく悲しい思いをしたとき、誰かを妬ましいと思ったとき

その感情をなかったことにしてはいけない。

 

なかったことにすれば、ロウワーセルフは(なぜなら、それは自分自身ですから)その存在に目を向けてほしいと余計に暴れ回ったりもします。

かといって、ロウワーセルフに流され、自分自身の感情がロウワーセルフと同化してもいけない。

 

ロウワーセルフを否定しながら、自分自身は良い生き方をしようと足掻く姿が、生成りであり、

ロウワーセルフに完全に流された姿が鬼であるのでしょう。

 

作中 生成りから鬼へとなりかけた登場人物は、いっときは完全に鬼と化しながら源博雅の優しさに触れ、人へと戻ってゆきます。

しかしそれも、切っ掛けは相手の優しさだったかもしれませんが、最後は自分自身が、自分の鬼の部分に打ち勝つだけの話。

 

戦いはいつも、自分のなかで行われてゆくもの……。

 

令和の世、ある程度の教育を受けておれば、何が正しく、何が正しくないか、何がよく、何がよくないかの別はある程度つくものです。

(もちろんここには教育格差の深い闇があるわけですが、それはまた別のお話……)

そんななかで、悔しさ、ねたみ、そねみ、逆恨み……といった感情に流されないようにするためには、自分もまたそんな感情をもっていることを受け入れ、ロウワーな自分も大切にしていくこと。

そしてまた、上手にロウワーセルフを抑制するために、自分自身だけではなく、人の優しさに触れることも大切なのだろうなと思わされた作品でした。

 

Netflixアニメ『陰陽師』は苦悩する人に何か答えをくれるかもしれない一作、機会があればぜひご覧になってみることをおすすめいたします。

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